ヤメマン(辞め男)川西幸一ファンサイト『50』

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川西幸一さんは1959年10月20日生まれの51歳(にはとても見えない)ドラマーです。
川西は拙者と同じ広島県のスチームパンクな景観がステキな呉市出身。そして拙者とは違う血液型O型。
奥田民生の人気が先立っちゃっているバンド「ユニコーン」のメンバーで、パートはもちろんドラム。デビュー当時は本名の川西で活動していましたが、メンバーからの一方的な“言いにくさ”によって「西川」に改名されてしまいました。ユニコーン脱退時には本名に戻り、2009年のユニコーン再始動の際は本名のままで活動しています。
ユニコーン結成以前は「ストリッパー」というバンドで活動しておりました。
ちなみにお笑いトリオ秋山が街中で「西川さんですよね?」と声を掛けられたことがあるほど、お笑いトリオロバートの秋山竜次に似ています(このことはお互い自覚しており、ジェット機のブログにてツーショットが掲載されました)。
1993年、アルバム「スプリングマン」レコーディング中に、バンドの方向性の相違により脱退し2009年、ユニコーン再結成発表にてバンドメンバーに復帰。
ユニコーン再始動後、「肝心なときにいないから失格」という理由でリーダーを降格させられました(笑)なので現在のユニコーンのリーダーは阿部さんが務めています。

ユニコーン遍歴

結成

川西と手島(Gt)は高校・大学を通じて先輩・後輩の間柄であり、「ストリッパー」というバンドで一緒に活動していたが、音楽性の違いにより2人そろって脱退する事へ…。その後、手島は本気でメジャーに出る事を志し、ライブハウスでバイトしつつ多数のバンドを掛け持ちする。川西はサラリーマンの道へ。
バンドを止めサラリーマンとなった川西だったが、奥田民生からレディのサポートドラマーを頼まれ参加。バンド熱が戻った川西は新たなバンドを結成すべく手島に声をかけたが「サラリーマンと組む気は無い」と言われ脱サラし勧誘成功。
手島が目をつけていたベーシスト堀内を勧誘。この堀内は実は川西の大学の後輩だった。
レディを解散した奥田民生は、友人のベーシストと新たなバンドを作ることを約束していた。そのため、川西からの最初のオファーを断ったのだが、そのベーシストが勝手に別のバンド(レプリカ)をやり始めたため、2度目のオファーでユニコーンへの加入を決意した。

デビュー後

メンバーは1987年3月30日に上京した。しかし、当初は1986年10月に上京する予定であったが、会社側の都合で1987年1月に延び、そこからさらに3月まで延びた。この大幅な予定の狂いは、ライブが出来ない、友人に東京へ行くと言ってしまったため、早く行きたいが行けないなど、メンバーに影響を及ぼした。
1988年4月17日、名古屋公演中に奥田民生が腰を痛めてしまう(以後完治することなく、持病となっている)。翌日の大阪公演は、痛み止めを使って行われた。
アルバム『服部』発売当時、全国の服部さんをライブに招待する企画があり、日本武道館の客席に「服部様ご一行」と垂れ幕がかかった一角を設け、服部姓のファンが集結した。
阿部はライブツアー『嵐の獣』の公演中、カンフーのパフォーマンスに失敗し、脱臼。すぐさま病院に運ばれ、公演は途中で中止となる。振替公演では、中止になった後の曲目から演奏された。
バンドブーム期に数あるバンドの中でも独特の雰囲気を持っていた為、氷室京介をして「最近のバンドで唯一いいと思うのはユニコーンだけ」と言わしめた。

解散の経緯

アルバム『スプリングマン』レコーディング中にリーダーの川西が脱退。サポートドラマーに古田たかしを迎えツアーに出るもその後のミーティングで「もうやることがない」、「ネタぎれ」などの理由で解散が決定。解散ライブは「相応しい曲がない」との理由で行わず、オールナイトニッポンで演奏した「すばらしい日々」が最後の演奏となった。

解散後

川西は2001年1月25日、長男と共に消火活動と人命救助を行い、警察より表彰されている。
その後のロックバンド、ミュージシャンに与えた影響は大きく、ゆずや小渕健太郎(コブクロ)、ASIAN KUNG-FU GENERATION、BEAT CRUSADERS、Janne Da Arc、レミオロメン、SEAMO、志村正彦(フジファブリック)、和田唱(TRICERATOPS)、おのまきこ(花*花)、キンモクセイ、aiko、THE BACK HORN、スキマスイッチ、MONGOL800、マキシマムザホルモン、ファンキー加藤(FUNKY MONKEY BABYS)、POLYSICS、DOES、髭(HiGE)、SPECIAL OTHERS、monobright、アナログフィッシュ、西村晋弥(シュノーケル)、チャットモンチー、サカナクション等、近年活躍している多くのミュージシャンがその影響を公言している。Mr.Childrenの桜井和寿は、アマチュア時代(THE WALLS)にCBSソニーのオーディションを受けた時、ゲストで出演したユニコーンを観て「ああ、俺ら今みたいなことやってたら、売れないんだなぁ」と「ユニコーンの"華"を自分なりに研究した」「それまでの暗い音楽から、明るい音楽に方向転換した」等、特にアレンジ面で大きな影響を受けた話している。

再始動

2006年、阿部の生誕40周年記念ライヴ『阿部義晴音楽祭〜仲間とノリノリ40祭』にて奥田民生と川西(当時ジェット機在籍・最終公演のみ)が参加。セッションにて「スターな男」「忍者ロック」「人生は上々だ」などの楽曲を披露。その翌年、解散前からツアー等の演出を行っていた舞台監督の結婚式にて川西を除く4名が集まり、披露宴にてユニコーンの楽曲を余興として演奏した。
これらの出来事に触発され、解散以降「ユニコーンのことを語りたくない」とまで言い切っていた阿部が「今このメンバーで音を出したらどうなるんだろう・・・なら集めてみようか」という考えで川西と奥田民生に再始動を呼びかける。
最初にメンバーが集まった新年会の際、手島は他のメンバーよりも遅れてやってきた。手島が来たときにはすでに再始動が決定。なお、再始動については唯一手島のみ「いつかやると思って準備していた」と積極的だったが、川西・堀内は「再始動はないと思っていた」との見解を示し、奥田民生は「(再始動するかしないか)どちらでもないという」との見解だった。
アルバム「シャンブル」レコーディング中、川西が再始動にあたりバンド名を変えようと提案したところ、即却下された。ちなみに、バンド名候補として「ペガサス」「シリウス」「UNICoooooRN (GReeeeNのもじり)」などがあったという。
Yahoo!のインタビューではメンバーはユニコーンを存続させる旨の発言をしている。テレビ朝日「ドスペ2・復活記念特番 蘇えるユニコーン」(2月15日放送)では「もはや解散なんてことはないと思う。やったりやらなかったりしていいわけだから(奥田民生)」との発言があり、また、フジテレビ「僕らの音楽」2009年2月20日放送分では「誰かが『やってくれ』といったらやる(奥田民生)」とも発言している。これらの発言から、今後は各々のソロ活動と並行してユニコーンとしての活動を行っていくものと思われる。
新たに完成したMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島に1年間限定で「ユニコーーーーーーン」とかかれた40メートルの巨大看板を設置、それに伴って4月26日の広島対阪神戦にてユニコーンのメンバーが始球式をすることが決定。始球式を堀内が担当したが、堀内の投げたボールが当時、腰痛であった阪神・赤星憲広の尻に直撃、堀内・奥田民生が謝罪するという事態となった。
再始動後のリーダーは「肝心なときに(バンドに)いないからリーダー失格(奥田民生)」という理由で川西から阿部に正式に交代になったと、J-WAVE「OH! MY RADIO」2009年7月29日で各メンバーが発言した。

経歴

1987年、バンドユニコーンでデビュー。
1990年、“嵐のケダモノ”ツアー中に長男が生まれる。
1993年2月、アルバム「スプリングマン」レコーディング中に、バンドの方向性の相違により脱退。
1993年7月、寺岡呼人とHIS FRIENDSに参加。
1994年7月、VANILLA結成。奥田民生のソロデビュー曲「愛のために」のレコーディング、メディア出演時バックバンドを務める。
1998年、VANILLA活動停止。
2001年1月25日、当時10歳の長男とともに消火活動と人命救助を行い、警察より表彰されている。
2001年、615結成。
2002年、615解散。
2002年12月、宮田和弥 (ex.J(S)W)を中心にblimb → trick plan →ジェット機を結成する。
2003年、Ai+BANDに参加、岩瀬敬吾などサポートなどの活動
2004年、ジェット機がTOY'S FACTORYよりメジャーデビュー。
2007年12月、野田太郎 (ジァイアントステップ)とBLACK BORDERSを結成。
2009年1月1日、ユニコーン再始動を発表と同時にバンドメンバーに復帰。
2009年、ジェット機 解散。
現在は、BLACK BORDERS、ユニコーン、Puffy等のツアーサポートで活動中。

ソロ活動

シングル

リキッドマン(1992.9.26)

ミニアルバム

UNICORN(1993.1.21、「EBI奥田民生阿部西川手島」名義)
「竜巻野郎」収録。

ミニアルバム

川西幸一 セルフセレクション(2007.11.7)
本人がソニー在籍時の音源から選曲したセレクション・アルバム。
ユニコーンデビュー20周年記念盤としてリリースされた。
ロック幸せ
竜巻野郎
素浪人ファーストアウト
ブルース
おかしな2人
マカロニコンプレックス
リキッドマン
ザ・マン・アイ・ラヴ
愛をちょうだい
ヌードと愛情
Passing
つばさ
NO NO NO
楽園中毒
WILD MOON
空を飛ぶ船〜ROOM#412〜
メラ☆メラ
THE SPIDER
ジゴロ
※オリジナル音源、UNICORN(1,3,4,5,8,19)、西川幸一(2,6,7)、VANILLA(9〜18)

VANILLA

VANILLA(バニラ)は、1994年結成の日本のロックバンド。1995年デビュー。1999年4月、無期限活動停止。

メンバー

川西幸一(Dr.)…現ユニコーン。
野山昭雄(Gu.)…現WOOHOO、元THE BELL'S、LAUGHIN' NOSE。
坂巻晋(Ba.)…元The Wells。
笹本希絵(Vo.)…1994年6月加入。

アルバム

VANILLA(1995年9月1日)
玉椿(1996年7月1日)
The SPIDER(1997年10月22日)

ジェット機

ジェット機(ジェットき)は、2003年にJUN SKY WALKER(S)のボーカル宮田和弥、ユニコーンの川西幸一を中心に結成された日本のバンドである。トイズファクトリー所属。
2003年9月に175RのSHOGO(Vo)の設立したインディーズレーベル“BUG ROCK RECORDS”より設立第一弾アーティストとしてミニアルバム「FIRST JET」でデビュー。
当初は、4人ともエビスジーンズに白いシャツ、赤い腕章と同じ出で立ちでステージに立っていた。
2008年10月17日、バンドおよび所属レコード会社(TOY'S FACTORY)のオフィシャルサイト、メールマガジンにおいて解散を発表した。

メンバー

宮田JET - 担当はボーカル。JUN SKY WALKER(S)のボーカリスト。本名は宮田和弥。2月1日生まれ、東京都世田谷区出身。
akkin JET - 担当はギター。元ハートバザールのギタリスト。現在、myuuRyのギタリストとしても活動中。12月19日生まれ、群馬県前橋市出身。椎名林檎の1stアルバムに参加している。 野田JET - 担当はベース。現在、ジァイアントステップや、川西JETと結成したBLACK BORDERS(野田ボーダー名義)でも活動中。11月25日生まれ、東京都清瀬市出身。
川西 JET - 担当はドラム。ユニコーン、VANILLAのドラムス。野田JETと結成したBLACK BORDERSで川西ブラックとして、またPUFFYなどのサポートメンバーとして活動中。本名は川西幸一。10月20日生まれ、広島県山県郡北広島町出身。

アルバム

JET'S FACTORY (2004年2月25日)
JETOY'S LAND (2005年3月9日)
vividpop (2006年9月6日)

BLACK BORDERS

BLACK BORDERS(ブラック・ボーダーズ)は、日本のロックバンド。
ジェット機のリズム隊であった2人が2007年末に結成。以降精力的にライブ活動を続けている。2009年には復活したユニコーンのツアーに追従する形でツアー日程を組み、全国を回った。

メンバー

野田タロウ(ノダ・ボーダー)…ボーカル、ギター担当。11月25日生まれ、東京都出身。
川西幸一(カワニシ・ブラック)…ドラムス、ポエトリー・リーディング担当。1959年10月20日生まれ、広島県出身。

アルバム

Go To Go(2010年5月26日)

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